最新.5-11『不快な勝利』
『――警告――』
※1 この警告は作者の主観、及び偏見に基づく判断により記載させていただいております。
※2 今警告はネタバレを含みます。
・今パートも、残酷な描写、グロテスクな表現、倫理観の欠如した描写等、不快になられるであろう要素を多分に含みます。
・自衛(自衛)が暴虐の限りを尽くします。
・後半に、寝取り、寝取られに類する大変不快な描写があります。自衛(自衛)が敵から奪います。
・他、特定のマイノリティー性癖描写を含み、以上の描写を不快に感じる方は厳重警戒願います。
同僚は暗闇を駆ける。
常に周囲に意識を向けて索敵を行いながら、鉱石柱を始めとする遮蔽物を利用して身を隠しつつ、敵の逃げ去った東方向を目指す。
同僚「ッ……どこにいったんだ……」
一つの鉱石柱の影に駆け込んで背を預け、夜空を一度見渡す同僚。その口から焦りの声が漏れる。
敵を見失ってから少しの時間が経過していた。おかげで体力こそ申し訳程度には回復したが、反して敵の再襲撃がいつ来てもおかしくない状況に、彼女の不安と緊張は煽られ、募っていった。それを少しでも紛らわせようと、同僚は目を落とし、先の戦いでの痺れがわずかに残る、シャムシール似の剣を握るその腕をさする。
同僚「――ッ！」
彼女が視界の端に何かを捉えたのは、その時だった。
同僚が顔をそちらに向けると、闇一色の夜空の中で、異様なまでの閃光を放つ発光体がその目に映る。発光体の中には人影らしき物が見え、それが先ほどの二人であることは考えずとも理解できた。敵の姿を包む発光体は、次の瞬間には波紋のように広がり、周辺をコーティングするように全方位に光が走る。光が走り抜けると同時に、何か妙なエネルギーが周囲に満ちるのを感じ取った。
同僚「ッ……！今のは……？」
発声した現象に一瞬戸惑った同僚だが、すぐさま光の正体と敵の意図を探ろうとする。しかし考察する暇すらなく、同僚の目は上空に別種の光が続けて瞬き、小さく広がるのを見る。
同僚「―――ッ！？」
彼女の全身を、先のとはまったく別物の名状し難い奇妙な不快感が駆け巡ったのは、その瞬間だった。
背筋を悪寒が襲い、異様なまでの脱力感が全身を支配して行く。手足から力が抜けてゆき、握っていたシャムシール似の剣が力の抜けた指からすり抜け、地面に落ちる。立っている事すら叶わなくなり、同僚はガクリと膝を、次いで両手を地面に着いてその場に伏した。
同僚「うぁ……かッ、ぁ……」
異常は体だけではない、意識は高熱を出した時のように霞みだし、これまで保っていた緊張と敵愾心が、倦怠感に塗りつぶされてゆく。
戦う意思が掻き消えてゆく。
同僚「な……これ……」
まるで何かに己の精神をのっとられるような感覚。しかし同僚はかろうじて踏みとどまり、意識を保つ。
同僚「魔、法……？まずぃ……」
自身の身に起こる現象の正体は想像するより無かったが、それが脅威存在が起こした物である事は、考えずとも理解できた。微かに残る意識が危機を訴える。気を失いそうな所を気力で踏みとどまり、同僚は全身を蝕む倦怠感に抗う。ほとんど力の入らない腕を緩慢に動かし、その場から離脱しようと地面を這いずる。
同僚「――！ぁッ！」
しかしその時、そんな同僚のすぐ側から一本の鉱石柱が突き出す貫かれる事こそなかったが、突出の勢いで同僚の体は中空に放り投げられる。
同僚「ヅッ！」
数メートル程宙を舞った後に、地面に体を打ち、鈍い悲鳴を上げた。
同僚「くっ、ぅぅ……！」
鈍い痛みが全身に走り、苦悶の声を漏らす同僚。痛みは朦朧とする意識を申し訳程度に覚醒させたが、しかし彼女を襲う倦怠感は晴れることなく、しつこく纏わり続ける。
剣狼隊長「そこか」
鈍い動きで悶える同僚の近くに、人影が声と共に降り立った。
敵の姿を見つけ、降り立った剣狼隊長と剣狼側近。剣狼隊長は抱きかかえていた剣狼側近を離して降ろすと、倒れた女の前まで歩み近寄る。
同僚「づぅ……ッ」
女は痛みと、言う事を聞かない体に苛まれながらも、顔を起こして剣狼隊長の姿を睨む。同僚のその姿に、剣狼隊長はわずかにだが目を見開いた。
剣狼隊長「ほぅ……まだ我を保っているのか？ 」
今しがた周囲に発動されたプリゾレイブ・ガーデは、発動範囲内にいる発動者に、敵対心を持つ人間の意思を奪い、意志の無い人形のようにしてしまう効果を持つ術だ。しかしその発動下で、女は体の自衛こそほとんど奪われながらも、自我を保ち、抵抗の意思をその目に宿していた。
剣狼隊長「剣の腕だけではなく、半端ではない強い意志を持つようだな。……しかし、それでも最早虫の息か」
剣狼隊長は同僚の姿に目を落としながら、感心した様子で彼女を再度評し、そして最後につまらなそうに呟いた。
剣狼側近「これ、剣狼Bの……」
剣狼隊長の背後で、剣狼側近が足元に落ちていたシャムシール似の剣を拾う。同僚が投げ出された際に、彼女の手から落ちたものだ。剣狼側近はそれが仲間の一人が持っていた物だと気が付き、声を漏らした。
剣狼側近「じゃあ、この人が……？」
剣狼隊長「そうだ剣狼側近。わが猟犬達を手にかけた、許されざる害虫だ」
剣狼側近「こんな強くてきれいな人が……」
剣狼隊長(剣狼側近……？)
剣狼側近のその言葉を気に留め、剣狼隊長は足元の敵に降ろしていた視線を、少年の方へと向ける。剣狼側近は仲間を殺された悔しさや、それを成した敵に対する恐怖等を顔に表しながら、地面に倒れる女の姿に視線を向けている。しかし剣狼隊長は、少年の感情がそれだけでは無い事に気付く。倒れる女を見る少年の目には、強く可憐な女に対する敬愛の念が、わずかにだが含まれていた。
剣狼隊長(剣狼側近……この女に魅了されているのか？)
剣狼隊長はもう一度足元の女に目を落とし、その姿を観察。そして同時に女の体に流れる魔力を感じ取り、分析する。
剣狼隊長(なるほど……この女、身体に有している魔力そのものは微量だが、それを通して、体に大きな魔力を宿す素質が携わっているのが分かる。未完の大器という訳か……。容姿や強さだけではない。剣狼側近はこれを感じ取り、この女に無意識的に惹かれているのか……)
剣狼隊長は愛弟子の感情の変化の原因がわかり、フンと小さく息を吐く。
剣狼隊長(……面白いものではないな)
そして脳裏にそんな一言を浮かべ、表情を少しだけ険しくした。
同僚「づぅ……ッ」
同僚は朦朧と意識する中で、近づいてきた人影を見上げる。違う物が目に映る事を微かに願ったが、そこにいたのは紛れもなく。ここまで刃を交わしてきた脅威存在の姿だった。その脅威存在は、碌に動くこともままならない同僚を最早警戒すべき対象と見ていないのか、時折言葉を発しながら、同僚の事をただ見下ろしている。
同僚(くぁッ……まずい……)
だが、脅威存在の手にする得物が、いつ同僚の身体に向けられてもおかしくはなかった。加速する焦燥の中で、考えを巡らせて打開策を探す同僚。そこで彼女は、脅威存在の後ろに立つ少年の姿を目に留めた。
同僚(何か……不思議な力が……この現象、原因は、後ろの彼か……？)
同僚は、自身を襲った異様な倦怠感の発生要因が、後ろの少年ではないかと当たりを付ける。
先の脅威存在との一騎打ちの際には今の現象の兆候はなく、少年が脅威存在と合流した後に現象が発生した事から考えての推察だった。そして何より、先ほど周辺に充満したエネルギーが、少年から発せられている事を、彼女の第六感が微かに感じ取っていた。どちらも根拠としては漠然としていたが、今はとにかく何らかの行動を起こすべきだと、同僚は倦怠感の纏わりつく体に気力を込める。
少年の目線は手元の剣に落ち、脅威存在の女の目はその少年に向いている。同僚は、両者の視線が反れている隙を突き、銃剣に手を伸ばした。右肩甲骨付近に、サスペンダーを利用して逆さに取りつけていた銃剣の柄を掴み、固定釦を押して下へ引き抜く。一度持ち直して視線の先の少年に狙いをつけると、残った力で手首にスナップを効かせ、投擲。銃剣は回転運動を行いながら少年目がけて飛ぶ。
しかし――銃剣が目標の少年に届く前に、カキン、という金属同士がぶつかる音が響いた。
「！」
銃剣の軌道上には剣狼隊長の持つ剣が突き出されており、投擲された銃剣はあっさりと叩き落された。
剣狼側近「ひぁッ！」
遅れて自分が狙われていたことに気付いた剣狼側近が、小さな悲鳴を上げる。
剣狼隊長「将来の我が主に刃を向けるとは、実に不快な事をする」
剣狼隊長は不快感を静かに口にしながら、少年を己の身体で庇い、剣先を同僚へと向ける。
剣狼隊長「鋼よ、茨を成し、獲物を絡み捕らえよ」
そして剣狼隊長は短く詠唱。その直後、同僚の周囲から複数の鉱石でできた茨が突き出し現れた。
同僚「ッ！？うぁッ！？」
鉱石の茨は瞬く間に同僚の身体へ絡みつくと、そのまま彼女の体を持ち上げ、一番近くにあった鉱石柱に叩き付け、磔にした。
同僚「ヅッ、ぐぅッ……！？」
同僚の身体に絡んだ茨は彼女の体を締め上げ、そして無数の棘が彼女の体を傷つける。苦悶の声を上げる同僚を、その元凶である剣狼隊長は冷たい目で眺めていた。
剣狼側近「ご、ごめんなさい隊長……」
剣狼隊長「見たろう剣狼側近、これが彼奴等の戦い方だ。小賢しく、醜い……情を恵むには値しない存在だ」
剣狼隊長は、自身の不覚を謝罪する少年の体を抱き寄せ、言い聞かせるように発する。
剣狼隊長「愚かな存在には、罰が必要だ」
剣狼側近「！」
そして少年の手を取ると、自身の剣の柄を握らせ、その上から自らの手を添えた。
剣狼隊長「分かるな。仲間のためにも、こいつは断罪せねばならない」
剣狼側近「あ……う……」
剣狼側近は持たされた剣の切っ先を、そしてその先に居る貼り付けになった女の姿を見る。
剣狼隊長「お前も猟犬であるならば、避けては通れぬ道だ」
冷たい声色で、目の前の女への断罪を促す剣狼隊長。剣狼側近も、目の前の女が仲間を殺めた憎き敵なのは分かっていた。しかし生殺与奪をゆだねられた少年の手は震え、握っている剣を今にも落としそうだ。
剣狼側近「ぼ、僕……駄目です……！敵だって分かってても、女の人に酷い事なんてできない……！」
そして少しの沈黙の後、少年は泣き叫ぶように訴えた。実際、その顔は今にも泣き出しそうだった。
剣狼隊長「――ふふ、わかっていたさ、お前は優しい奴だ」
剣狼隊長は一転して優しい笑みを浮かべると、剣狼側近の手から剣を優しく取り上げる。
剣狼側近「た、隊長……ごめんなさい……皆の、仇なのに……」
剣狼隊長「いや、いいさ。お前の視線を奪われたのが心苦しくて、少しいじわるをしてしまった」
剣狼側近「え――んむ！？」
剣狼隊長の言葉の意図を理解しかね、言葉を発しようとしたが、その前に、少年の口は柔らかい感触の何かに塞がれる。剣狼側近の顔から指一つ分も無い距離に剣狼隊長の顔があり、少年の唇には剣狼隊長の唇が重ねられていた。困惑する剣狼側近をよそに、剣狼隊長は唯一残った配下の少年に片手を這わせて抱き寄せ、より口づけを濃厚にする。まるで、そこで磔になっている女に見せつけるように。
同僚「……な、な……」
目の前で繰り広げられる異様な光景に、同僚は危機的状況にあるにも関わらず、目を丸くし、その頬を赤く染めていた。剣狼隊長は口づけを続けながら、同僚の方を一瞥。そして勝ち誇るように目で笑って見せる。彼女は寵愛する少年の目を一時でも奪われたことで、嫉妬心を抱いていたのだ。今まで誰からも敬愛されてきた彼女にとって、初めての感情であった。そして自分と少年との口づけを、目の前の女へ見せつけることで、心に湧き出たモヤをかき消し、独占欲を満たしていた。
剣狼隊長「んぅ……」
剣狼隊長は少年へと視線を戻すと、空いていたもう片方の手で彼の手を掴み、自身の身体へと導く。剣狼側近は導かれるままに、剣狼隊長の体に手を回す。そして導いた片手で今度は、少年の空いた片手を取り、指を艶めかしく絡め合う。互いの体を強く抱き寄せ合い、剣狼側近は、鍛え上げられながらも、しかし豊かな女の肢体を。剣狼隊長は、角の少なく抱き留めやすい少年の肢体を。体のラインが浮かび上がるレザーの服越しに、互いに感じ合った。
剣狼隊長「ん……」
剣狼側近「ぷぁ……」
長く続いた口づけが終わり、剣狼隊長は剣狼側近の唇を解放する。
剣狼側近「ふぁ……隊長ぉ……？」
濃厚な愛し合いの余韻に囚われたままの剣狼側近は、まだ夢の中にいるような表情で剣狼隊長を見上げる。
剣狼隊長「剣狼側近。私はお前のその、意固地なまでの優しさに何より惹かれたんだ」
腕の中の愛しい少年に向けて、剣狼隊長は改めて告白の言葉を囁く。
剣狼隊長「確かに、未来の我が主人となってもらうには、この先厳しい場を乗り越えてもらわねばならないが……。しかし、まだしばらくは、私の優しくて愛らしい忠犬でいてくれ」
言いながら剣狼隊長は、本当の犬でも可愛がるように剣狼側近の頭を撫で、指先で喉元を弄ぶ。
剣狼側近「ぁぅぅ……くぅ……わ、わん……！」
その甘美な快楽に、剣狼側近は胸がキュンと締め付けられるような感覚に囚われ、その表情をだらしなく蕩けさせる。そして主の言葉に対する肯定の意思として、剣狼側近は剣狼隊長に向けてそう鳴いた。
剣狼隊長「ふふ、いい子だ。――さて」
主従の愛情を再確認させると、剣狼隊長は少年の体を解放し、磔になった女の方へと向き直る。そして表情を艶の浮かぶ女のそれから、処刑人のものへと豹変させた。
同僚「ッ！」
剣狼隊長「私は剣狼側近ほど慈悲深くはない――さぁ、断罪の時だ」
目の前で繰り広げられた異様な事態に、気を持っていかれていた同僚だったが、刺さるような剣狼隊長の視線と言葉が、彼女に危機的状況を再認識させる。
(何を見惚れて、アホか私は……！クソ……ッ！)
茨からの脱出を試みようと体を捩る同僚。しかし戦闘服越しに棘が食い込んで体に傷を増やすだけで、彼女を拘束している茨はビクともしなかった。
剣狼隊長「私はあまり血生臭いやり方は好まないのだが……散って言った猟犬達に報いるためにも、貴様らには惨たらしい最期を迎えてもらう」
懸命にもがく同僚に向けて、剣狼隊長一方的に言い放つと、彼女は一節の詠唱呪文を唱えた。
同僚「従属を覚えぬ哀れな犬に漆黒の枷を。恐怖、痛み、死、これらによる躾を与えん」
対する同僚は倦怠感や痛みの多重苦に苛まれながらも、脱出のためがむしゃらに足掻いていた。しかし、視界に入った奇妙な物に、同僚はその動きを止める。
同僚「……ッ！？」
自分の体に視線を落とす。そこで目に映ったのは、同僚の両腕や両足の付け根付近で輪を形作る、濃灰色のモヤ。
剣狼隊長(こ、これ……まさか！？)
そこで同僚は、脅威存在との接触したばかりの時に入った無線連絡で、首を落とす能力者がいるという報があった事を思い出す。
同僚(報告では別の脅威個体のはず……いや、彼女も使えてもおかしくはない……じゃあ……ッ！？)
同僚の推測は正しかった。今彼女の体に纏わりつくモヤは、観測壕での戦闘で祝詞士長を死に追いやったそれと同種の物だった。そして、それが自身の四肢に纏わりついているという状況。脳裏に浮かんだ未来予想図に、同僚の顔はみるみる青ざめた。
剣狼隊長「ミルペィル・ミリィ――剣狼魔女から手ほどきを受けたカラウ・ミリィの応用だ。いささか趣味の悪い代物のため、使う事は無いと思っていた。しかし――貴様らのような害虫を罰するのに、これ程うってつけの手段もないだろう。まずは害虫に相応しい姿となり、己の犯した罪の重さを知るがいい」
同僚の心中を察し、それを肯定するかのように剣狼隊長は発した。
剣狼隊長「今、周囲一帯は剣狼側近の広げた魔力の庭だ。その効果でこの術も、周囲にいる全ての敵意ある者に発言する。そう――あの醜い者も、貴様同様に無惨な最期を迎える事となるだろう。今や周囲の地形は迷宮の同然だ、抜け出すことは容易ではない。そしてプリゾレイブ・ガーデの餌食となり、今頃は地を這っている事だろう。もしくは、生き埋めとなっているやもしれんな」
変貌した周囲を見渡しながら、言葉を続ける剣狼隊長。自身をおちょくり倒した相手の最期の姿を脳裏に浮かべたのか、剣狼隊長は言葉の切れ目で少しだけ口角を上げ、小さく笑いを零した。
剣狼隊長「あの醜く無礼な輩に直接手を下せないのは残念だが……地の底で息耐えてゆく、ヤツの姿を想い浮かべるのもまた一興だ。貴様の最期の姿を肴に、そのひと時を愉しむとしよう」
剣狼隊長が言葉を終えるのを待っていたかのように、モヤはその回転速度を上げ、明確なリングを形作りだす。同僚の四肢に枷のように出現したそれは、彼女の付け根を切り裂くべく、収束を始めた。
同僚「うぁ……ぁ……！や、やめろ……ッ！」
目前に迫る恐怖に、同僚は顔を強張らせ、震える唇から声を漏らす。形作られたリングの内径は鋭利な刃となり、チリチリと同僚の纏う衣服を切りつけ始める。
同僚「や……やだッ！嫌だッ！やめてくれェッ！」
同僚は目尻に涙を浮かべて喚き出す。しかしいくら悲鳴を上げようとも、リングの収束と回転は止まることなく、ついには同僚の地肌を傷つけ出す。
剣狼隊長「……ふふっ」
その姿が剣狼隊長の加虐心を擽ったのか、サディスティックな笑みを浮かべていた彼女は、その口から再び小さく笑いを零す。
同僚「やめて、やだ……やだぁッ！！」
ついに同僚の口から、子供の駄々のような泣き声が上がる。死の枷はそれを最後の言葉と聞き届けた。そして同僚の四肢を、無慈悲な刃が切断する――。
突然の破壊音が割り込んだのは、その直前だった。
音と同時に衝撃が走り、同僚の磔られていた鉱石の成す壁の一角が、向こう側から蹴破られて崩壊した。
同僚「ぃ――ぼげッ！？」
同僚の磔になっていた箇所は、塊のままランプにように倒れ、同僚はその下敷きにされる。そして湿った土砂が舞い上がり、鉱石の破片が四方へ飛び散る。まるでダイナマイト発破によるトンネルの開通。崩落の騒音と土煙が止むと、出来上がったトンネルの開口部から人影が現れる。
自衛「やぁれやれ、やっと着いたずぇ」
緊張感の無い気だるそうな声で、他の誰でもない自衛が姿を現した。
自衛「よっと」
同僚「もべッ！？」
自衛は一歩踏み出して、倒壊した瓦礫の塊の上に片足を乗せる。その圧で、塊の下敷きになっている同僚からくぐもった悲鳴が上がった。
剣狼隊長 (――は……？)
アレな登場の仕方をした自衛の一方、対する剣狼隊長は、突如目の前で起こった事態を理解できずに、固まっていた。
それも当然だ。今、周辺一帯は彼女達の発動させた、プリゾレイブ・ガーデ及びミルペィル・ミリィの支配の下にある。術の影響下で、対象とした全ての敵は心身の自衛を奪われ、這いまわりながら死の枷の恐怖に怯えるしかないはずだった。しかし目の前の存在の身体には枷の発現が見られず、そして悠々自適に動き回っていた。
剣狼隊長(――ッ！)
2秒にも満たないわずかな硬直時間から、剣狼隊長は意識を戻す。同時に、つい先程まで同僚相手に浮かべていたサディスティックな笑みは掻き消え、これまで感じたことのない危機感が、彼女の全身を走り抜けた。
剣狼隊長(こいつなぜ――いや後だッ！)
脳裏に浮かぶ数多の疑問を、剣狼隊長は一度すべて振り払う。
剣狼隊長「剣狼側近！一度引く――」
その場から跳躍離脱すべく、バネ仕掛けのような反応速度で足元の地面を踏み切る剣狼隊長。同時に側に立つ剣狼側近に向けて声を上げ、そして少年を抱き寄せるために腕を伸ばす。
次の瞬間に彼女は、少年の身体を抱きかかえて、空高く跳躍――
剣狼隊長「ぞ――！？」
するはずだった。
しかしその前に、彼女の身を不可解な事態が襲った。夜空へ飛び出そうとしていた剣狼隊長の身体が、何かに押さえつけられるように阻害される。突如として剣狼隊長の視界は真っ暗になり、同時に彼女の頭皮に走る、締め付けられるような感覚――。
剣狼隊長「――ぶォびぇッ！？」
何か起こったのか理解するよりも前に、脳を揺さぶるような感覚と衝撃が彼女を襲った。同時に剣狼隊長の口からくぐもった悲鳴が上がり、一瞬遅れて彼女の顔面に鈍痛が走り、そして口の中には土の味が広がる。見れば彼女の身体は、顔面から濡れた地面に突っ込んでいた。
自衛「引かせねぇよぉ？」
そんな剣狼隊長の姿を見下ろしながら自衛の発する姿が、すぐそこあった。剣狼隊長は上空へ逃げる直前に、自衛に頭部を掴まれ、メンコのようにおもいきり地面に叩き付けられたのだ。
剣狼隊長「こぁッ――？」
あまりに凄まじい威力で叩きつけられた剣狼隊長の体は、湿った土を巻き上げながら跳ね上がる。その高さはちょうど、そこに佇む自衛の胸のあたり。剣狼隊長の顔は、反動で半ば強制的に起き上がる。その彼女の目に、拳を握り待ち構えていた自衛の姿が映った。
剣狼隊長「ぎょぅッ――！？」
瞬間、自衛の拳が剣狼隊長の胴体へと叩き込まれた。拳は人体の急所である鳩尾にみごとに入ったが、しかし今の場合、命中箇所など大した問題では無かった。タメの後に放たれた拳骨の衝撃はあまりに凄まじく、剣狼隊長の胴の骨を砕き、内臓を爆ぜさせ、全身にまんべんなく致命的な損傷を与え、彼女の全身を隈なく破壊。
剣狼隊長「びぇりぇッ！！？」
そして剣狼隊長は拳の勢いに押され、夜空に向かって吹き飛ばされた。
剣狼隊長「――べぇッ！？」
一直線に飛んで行った剣狼隊長の身体は、一度、軌道上にあった一本の鉱石柱に衝突。軌道が変わり、剣狼隊長の身体は再び地面に叩き付けられる。
剣狼隊長「あびゃッ――べぇッ――ぼげらッ！？」
一度の衝突で剣狼隊長の身体は止まらず、水の石切りのように地面で何度もバウンド。体を打ち付けるたびに下品な悲鳴を上げ、その先にあった別の鉱石柱の側面に激突し、ようやく停止。
鉱石柱に叩き付けられた剣狼隊長は、おかしなポーズで気絶し白目を剥いている。やがて彼女の体は鉱石柱から剥がれ落ち、糸を切られた操り人形のようにボトリと地面に落下した。
自衛「よぉし、うまく命中った」
自衛は飛んで行った剣狼隊長の方向へ視線を向けつつ、拳のダメージ確認のために指を動かしながら、呑気な感想を口にする。
剣狼側近「――た、隊長……？」
一方、その側にたたずむ剣狼側近は、突然の出来事に、ただ呆然としていた。
強く気高く、何者にも負けないはずの敬愛する主が、乱入してきた異質な存在の拳を食らい、目の前で無様に吹きとばされていった。
剣狼側近「え……あ……あ――」
その事実が頭の中にうまく入ってこず、状況が正しく理解できない彼は、ただ言葉にならない声を漏らす。
剣狼側近「う――うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ！！」
次の瞬間、強大な魔力が剣狼側近の体を中心に、爆発的に発生した。それは少年の無意識の怒りによって発生したものだった。彼は、状況を依然理解できていなかったが、愛する大切な人が酷い目に遭わされたという事実だけを本能で理解し、内に秘める魔力を目覚めさせたのだ。
剣狼側近「うぁぁぁぁッ！」
強大な魔力が発光現象として可視化し、少年を中心に一気に周囲に広がる。一体に立ち並ぶ鉱石柱が一斉に鳴動し、地面が揺れる。愛する者を傷つけられた少年の怒りが、周囲に強大な破壊を呼び起こす――
自衛「さっき見た」
剣狼側近「ぁ――びゅッ！？」
が、そんな少年の脳天に、一言と共に手刀が落ちた。
いくらかセーブされた力での一撃だったが、少年は悲鳴のような声を漏らして、先の剣狼隊長のように顔から地面に突っ込み、あっけなく気を失う。剣狼側近の体で爆発的に増幅していた膨大な魔力が、一瞬で掻き消えたのは、それとほぼ同時だった。
剣狼側近の体を覆っていた発光現象は霧散して消滅。視覚的な変化だけではなく、剣狼側近自身が宿していた現象の源たる魔力そのものが、まるでブレーカーが落ちて電気が消えた時のように、一瞬で消滅してしまったのだ。そして周囲に広がっていた魔力も波が引くように消えてゆき、魔力の供給が絶たれたためか、それに呼応するように、鉱石柱の鳴動や地面の揺れもピタリと鳴りを潜め、周囲は夜闇と静寂が戻った。
自衛「こんなんばっかだな、コイツ等は」
気を失い地面に突っ伏した少年を見下ろしながら面倒くさそうに一言発する自衛。先の若い傭兵達に続けて、爆発的な攻撃行動を行おうとする敵に立て続けに出会い、自衛は若干ウンザリしている様子だった。
自衛「よく知らんが、ビックリ魔法はキャンセルできたようだな」
自衛は周囲に視線を送り、少年が行おうとしていた行動を阻止できた事、そしてこの場の脅威が無力化した事を確認する。
同僚「………おぃ………」
自衛「ん？」
そこで背後から絞り出すような声が聞こえ、自衛はそちらへ振り向く。声が鉱石の瓦礫の下から発せられたものだと察し、近づいて一番大きな塊を、脚で乱暴にひっくり返す。すると鉱石の塊の裏側から、茨に雁字搦めにされた同僚の体が現れた。
自衛「そんな所でなにしてんだ？」
自衛は現れた同僚に、心底不思議そうな口調で尋ねる。
同僚「むぉ……お、お前が下敷きにしたんだろ……」
クソみたいな形で窮地を脱した同僚は、その元凶たる当人の他人事な口調に対して、絞り出すような声で返した。
自衛「これ、なんとかしてくれ……」
同僚「ったく」
自衛は同僚を雁字搦めにしている茨を適当に踏み抜き、蹴散らして彼女を解放してやる。
同僚「ッァ……輪が、消えてる……」
解放された同僚は、体中に痛みを覚えながらも上体を起こし、まず真っ先に自分の手足の付け根に目を向ける。四肢に纏わりついていた不気味な枷は消えており、異様な倦怠感も無くなっていた。
自衛「ズタボロだな、やべぇ傷はねぇか？」
同僚「待て……傷だらけだが、致命的な物は無い……一応、大丈夫だ……」
同僚は自分の身体の各所を確認する。あちこちが擦過傷や打った跡だらけで、戦闘服も破れや千切れかけている所ばかりだったが、不幸中の幸いか、命にかかわるような物は無かった。
自衛「えらい前衛的な恰好になってるが、そいつぁどうした？」
同僚「くぁッ……増援本隊から、首を落とす脅威存在があったのを覚えてるか？私も彼女から、手足にそれを使われた……。ギリギリ服を着られるだけで済んだが、もう一瞬遅かったら、危なかった……」
一歩遅ければ四肢を切断されていた可能性を思い返し、同僚は青ざめながら事の経緯を説明する。
自衛「そいつぁ、いいタイミングで殴り込めたようだな」
同僚「お前……」
自衛の台詞に同僚は渋い表情を作る。確かに危うい所を救われたのは事実であったし、映画のようなヒロイックな救出劇を期待していたわけでもないが、現実があまりにも格好の付かない形であったため、彼女の心中はたいへん苦々しくあった。
同僚「そうだ……！彼女はどうなった？」
気を取り直し、同僚は脅威存在がどうなったのか尋ねる。
自衛「無力化はできたはずだ。女の方は、叩き込んだら吹っ飛んでった。取り巻きの坊主はなんか光ってたが、張っ倒したら静かになったぞ」
同僚「あぁ………そう」
言ってのけた自衛に、同僚は脱力した声を漏らす。自衛が奇襲という形を取ったとはいえ、同僚があれだけ苦戦した相手を一撃で退けた事実に、最早彼女は驚き通り越して呆れと虚しさを覚えていた。
自衛「動けそうか？」
同僚「なんとか……」
同僚は節々に痛みを覚えながらもどうにか立ち上がり、自衛から差し出された小銃を受け取る。
自衛「んじゃ、俺は吹っ飛んでったヤツを追う。さっきので、まともに行動できねぇレベルのダメージは入ったと思うが、まだ隠し玉を繰り出してくるかもしれねぇからな。
お前はそこの坊主を拘束して見張れ。その間に、コンディションもなるべく回復させろ」
同僚「あ、あぁ……了解」
自衛は剣狼隊長が飛んで行った方向へ向かい、同僚は作業に取り掛かった。
剣狼隊長(―――ッ………！)
一方、剣狼隊長は短い気絶から目を覚ましていた。
剣狼隊長「あ゛……ヅ、あ゛あ゛……ッ！？」
しかしその体は言う事を聞かず、そして全身に凄まじい激痛が走る。それもそのはず。何度も体を打ち付けた影響で、彼女の四肢はその全ての骨が折れ、砕け、彼女の胴に絡みつくような、あってはならない曲がり方をしていたからだ。まるで適当に扱われ、飽きて捨てられた壊れた人形のように。
もちろん負傷箇所は手足に留まらない。胴の骨もまたそこかしこが砕け、各内臓も破裂損傷を起こしている。皮製の黒い戦闘服はそこかしこが破れて擦過傷が覗き、何よりその麗しい顔は腫れやができ、そして噴き出た鼻血に塗れ、見る影も無かった。全身のあらゆる負傷箇所が痛みを訴え、最早どの痛みがどの怪我によるものなのか見当もつかなかった。
剣狼隊長(何が……一体何が……)
耐えがたい苦痛に苛まれながらも、彼女は何が起こったのかを把握すべく、頭を働かせる。
しかし事態は、彼女の理解の範疇を越えていた。現れた敵は、抗うことなどできないはずの彼女達の術の中で、悠然と動き、攻撃を加えて来た。そして、さらに信じがたいのは、その敵が彼女に放った一撃だ。剣狼隊長の体は抜群のプロポーションを持ちながらも、その芯は積み重ねて来た鍛錬と、幾度もの戦いで鍛え上げられ、男の傭兵達にも引けを取らぬ強固さを誇っていた。そして彼女はその上から自身に強化魔法を施しており、それらの要素によって織りなされた彼女の防御力は並大抵のものではない。生半可な攻撃では、かすり傷すら与える事もできないはずであり、現にこれまでの戦いで、彼女に傷をつける事ができた者は居なかった。しかし敵の一撃は、その防御をまるで何も無かったかのように貫通し、美しくも鍛え上げられた彼女の身体を破壊、無残な姿へと変貌させた。
剣狼隊長(こんな事が――はっ！？)
理解不能の事態に混乱する彼女は、しかしそこで別の異変に気が付く。
剣狼隊長(剣狼側近の魔力が……消えている……！？)
先程まで周囲を覆いつくしていた剣狼側近の魔力が、周囲から消え去っていたのだ。
剣狼隊長(まさか……！)
それは少年の身に何かあった事を示していた。
剣狼隊長「くッ……！」
屈辱と怒りに彼女は歯を食いしばる。
剣狼隊長「猟犬達を手に掛け、私をここまで愚弄し、挙句……剣狼側近までもをその毒牙に掛けたというのか……！」
彼女の身体はボロボロだったが、その目に強い怒りの炎が宿る。
剣狼隊長「おのれ……許さん――許さんぞッ！！」
次の瞬間――彼女の身体から膨大な魔力が沸きだした。それは彼女自身、これまで体感した事の無い力だった。かつてない屈辱を受け、仲間を殺され、愛する者を手に掛けられた。その怒りが力へと変わり、満身創痍の体である剣狼隊長に、凶悪なまでの魔力を生み出させたのだ。
土壇場でのさらなる覚醒。歩む人生が違っていれば、勇者として大成していたかもしれない彼女の、真なる力。急激に増幅した魔力が、剣狼隊長を中心に瞬く間に広がる。近辺に存在する万物が彼女の魔力に共鳴し、大地が揺れ動き、草木や土石がざわめき出す。
全てが彼女の怒りを執行するための、恐るべき牙へと変貌する――！
自衛「キレ芸しかできねぇのかおめぇら」
剣狼隊長「ぷぎょッ！？」
しかしその前に、歩いてきた自衛が戦闘靴の踵で、剣狼隊長の後頭部を踏みつけた。
彼女の頭部は湿った地面へ再度沈み、変質した悲鳴が上がる。
剣狼隊長「ごぉ……ぐぁ……！？」
頭を踏みつけられ、苦悶の声を漏らしながらも、剣狼隊長頭を動かして懸命に抵抗を試みる。しかし、さらなる異常事態に彼女が気付いたのは、その時だった。
剣狼隊長 (――ッ！？ま、魔力が……！？)
剣狼隊長の体の内より発生していた膨大な魔力。並の人間ならば感じただけで気圧されてしまう程の、凶悪な威圧感を放っていた巨大な力。それが、彼女の内から跡形も無く消失していたのだ。魔力の供給源を失った事により、周囲に広がっていた魔力も見る見るうちに霧散して行き、共鳴していた大地や草木、土石達は、あるべき動かぬ姿へと戻ってゆく。
剣狼隊長(バカな――！？)
ありえない事だった。
確かに魔力や魔術は、術者の状態や意識の有無によって、発現状態や効力を作用されることはある。しかし剣狼隊長は、ボロボロの状態でありながらも巨大な魔力を発現させて見せ、今も意識ははっきりと保っている。いやそれ以前に、この世界のほとんどの生物には、大小の差はあれど絶えず魔力が宿り、流れている。その絶えず宿っているはずの魔力までもが、一瞬で掻き消えてしまうなどという事態は、この世界の理では考えられない事態だった。
剣狼隊長(なぜだ――魔封じの術……か……？しかし、そんな気配は……！)
魔力の働きを抑制する、魔封じの術といった物も存在したが、それはとても強力な上位の魔術であり、その魔術もまた大きな魔力を必要とする。しかし今、辺り一帯にはそんな魔力の気配すらなかった。
自衛「おい、話せるか？」
困惑の最中にある剣狼隊長をよそに、自衛は剣狼隊長の頭から足をどけると、確認の声を投げかける。
剣狼隊長「きはまぁ……一体、何なんだ……？このような事を……ッ！」
頭を解放された剣狼隊長は、土に塗れた顔を起こし、そこに立つ自衛の姿を睨み発する。満身創痍でありながら、彼女のその瞳はそれだけで人を射殺せそうな程の威圧感を放っていた。
自衛「悪いが聞きてぇのはこっちだ。いくつか質問に答えてもらうぞ」
しかし自衛はそれを意にも介さず、用件だけを眼下の女へと発する。
剣狼隊長「……くはは……」
剣狼隊長は一度顔を伏せ、静かに笑う。
剣狼隊長「……貴様ら害虫に与えてやる物など、何もありはしない……。体の自衛を奪ったとて、私の精神まで崩せたと思い込むなッ！」
そして自身を見下ろす醜悪な存在に向けて、そして口角を釣り上げて要求を一蹴して見せた。
自衛「やれやれ。あんまやりたくねぇが……しゃあねぇな」
対する自衛は面倒臭そうに呟く。そして、剣狼隊長を見下ろす歪で特徴的なその眼が、少しだけ冷たさを帯びた。
同僚「ッ、痛たた……」
同僚は、各所に以前痛みを覚えながらも、なんとか最低限の行動ができる程度に体を持ち直した。足元には、脅威存在と共にいた少年の体が、拘束されて横たわっている。念のため拘束を施したものの、自衛の手刀によって気絶した少年は、地面に突っ伏したまま目を覚ます気配はなかった。
自衛「よーぉ、いくらか回復したか？」
そこへ声が掛かる。振り返ると、こちらへ歩いて来る自衛の姿が同僚の目に映る。
同僚「あぁ、なんとかな。そっちこそ――！？」
返事がてらに愚痴を零そうとした同僚。しかし次の瞬間彼女は、自衛の手元に見えたものに絶句した。
剣狼隊長「……ごべんなさい……もぅ、許して……くださぃ……」
自衛の手には、まるで荷物のように下げられている剣狼隊長の体があった。
全身はボロボロで、特徴的な黒い戦闘服の腰のあたりを自衛に掴まれ、折れた四肢がだらりと垂れて地面を擦っている。そして彼女は、今までの振る舞いと打って変わった、力なく許しを求める言葉を漏らしていた。
同僚「お、お前――」
剣狼側近「た、隊長……！？」
驚愕した同僚は自衛に向けて口を開こうとしたが、その瞬間、背後から別の悲鳴のような声が重なった。
同僚が振り向くと、いつの間にか目を覚ましていた剣狼側近が、頭だけを起こしてこちらに、正しくは自衛の手からぶら下がる剣狼隊長の姿に目を向けていた。
剣狼隊長「れ、剣狼側近……す、すまない……」
一方、ぶら下がる剣狼隊長は、剣狼側近の姿に気が付くと、力の無い声で剣狼側近へ向けて謝罪の言葉を述べる。
剣狼隊長「み、見ないでくれ……私……負けて、屈してしまった……」
剣狼側近「そ、そんな……隊長……」
欠片にも想定していなかった主の敗北。そして敗北を喫した主の無惨な姿に、剣狼側近の顔はみるみる悲愴に染まってゆく。
剣狼側近「ぁ、ぅ……くッ！お、お前！……た、隊長に何をしたんだぁ！」
しかし、絶望に飲み込まれかけた剣狼側近は寸での所で踏みとどまる。そして、敬愛する隊長を荷物のようにつまんでいる、醜悪で恐ろしい存在を睨み上げ、声を上げた。普段、引っ込み思案な彼が見せる事のない、怒りを露わにした姿だった。
自衛「ん？あー」
対する問われた自衛は、面倒臭そうに答えの言葉を探そうとする。
剣狼側近「隊長！しっかしりして下さい！」
しかし剣狼側近は、自衛の答えを待たずに剣狼隊長に向けて叫んだ。
自衛(聞かねぇのかよ)
内心で呆れ呟いた自衛の眺める下で、互いの目を合わせる剣狼隊長と剣狼側近。
剣狼隊長「剣狼側近……」
剣狼側近「僕は知ってます、隊長はどんな時でも負けない強い人だって！だから負けないで！こんな事で……！皆を酷い目に遭わせた奴なんかに負けないで！こんなことで挫けちゃ駄目ですっ！」
拘束されたその身をよじりながら、主に向けて必死に訴える剣狼側近。
剣狼隊長「剣狼側近……あ、あぁそうだ……私は、隊長だ……こんなことでは……」
そんな愛する愛弟子の信頼の瞳と言葉を受け、剣狼隊長はそれに応えようとする。
剣狼隊長「こんな……ことでは……」
応えようとした。しかし――
剣狼隊長「――無理……」
剣狼側近「……え？」
剣狼隊長「む――むりぃぃぃぃぃッ！！わらひ……負けないなんてむりぃぃぃぃッ！！」
突如、剣狼隊長は半狂乱となり叫び出した。
剣狼側近「た……隊長……？」
突然の事態に、剣狼側近は理解が追いつかず、言葉を失う。
剣狼隊長「だってだってぇっ！痛くて、こ、怖いんだ！！この人、わたしじゃ勝てなくて、痛い事たくさんされちゃうんだっ！こんなのぉ……負けないなんて無理に決まってるよぉぉぉっ！」
愕然とする剣狼側近の目の前で、剣狼隊長はまるで子供のように泣き喚く。
剣狼隊長「お願いです、私から話せる事全部話しましたっ！だからぉ……痛い事しないで下さいぃぃ……ッ！」
そして、剣狼隊長は自身をぶら下げている醜悪な存在に向けて、命乞いを始めた。そこに、これまでの凛とした立ち振る舞いや、男顔負けの勇猛で気迫溢れる姿は、微塵も残っていなかった。
剣狼隊長「言う事なんでも聞きますぅ！あ、あなたの犬になりますぅ！わ、わぅぅっ！」
どれだけの恐怖を植え付けられたのか、剣狼隊長は許しを乞うべく犬の真似事を始め、自衛に向けて媚び出す。
剣狼側近「え……た、隊長……？え……？あ……あ……」
目の前のその光景に、剣狼側近の心に宿っていた怒りの色は、あっけなく消失していた。敬愛する隊長の信じがたい醜態。それを未だ理解できていない剣狼側近は、その口から呆けた声を漏らしている。
剣狼側近「……あ……あ……ぅあああああああ……っ！？」
しかし、残酷にも彼の脳はやがてそれを理解する。
そしてその瞬間、少年の微かな希望がそこでぷつりと途切れ、彼の口から悲鳴に近い叫び声が上がった。
剣狼側近「あああ……そ、そんな……そんなぁ……隊長ぉ……！」
あまりの絶望的光景に、その絶叫すら長くは続かず、剣狼側近は力ない呻き声を漏らし出す。
先程まで官能的な愛し合いをしていたはずの敬愛する人。少年に寵愛を向けてくれる主人であり、将来は少年を主とし己が忠犬となるとの契りを交わした人。そして少年にだけ女の部分を見せてくれた、愛しい女性。
それが、自分たちが打ち倒すはずだった醜く恐ろしい存在に、無様な姿を晒して媚びを売り、必死に靡こうとしている。
あどけない少年の精神を打ち砕くには十分すぎる、あまりにも残酷な光景だった。
剣狼隊長「ヘッヘ、わうわうっ！」
そんな少年をよそに、剣狼隊長は上目遣いで舌を突き出して垂らし、整った麗しいその顔に下品な表情を作り、犬の鳴き真似で媚びを続ける。釣る下げられたままの体で、腰や尻をくねらせ、尻尾を振る真似事をする。目の前で愛弟子である剣狼側近が見ているというのに、恥も外聞も無く無様な姿を晒す。
剣狼隊長「剣狼側近ぃ……！ほら、お前も主様に謝ってくれ……！じゃないと、許してもらえないからぁ……っ！」
そればかりか剣狼隊長は、あろうことか剣狼側近に共に謝罪をすることすら要求し出した。絶望の淵に居る彼に、追い打ちをかけるかのように。
剣狼側近「ぁぁぁ……ぅぁぁ……そんなぁ、隊長ぉ……」
残酷な言葉を浴びせられ、剣狼側近はあどけないその顔を悲観に染めて、言葉にならない言葉を漏らし続ける。
剣狼隊長「きゅぅん、きゅぅぅん！剣狼隊長はあなたの犬ですぅ！ですからどうか私にお情けをぉっ！」
剣狼側近「たいちょお……剣狼隊長さまぁ……僕の大切なご主人様なのに……あぅぅ……かえして……かえしてぇぇ……」
自衛の脚に己の頬を思い切り押し付け、その端麗な顔を不細工に歪めて頬ずりを始める剣狼隊長。
涙を零し、醜態を晒し続ける剣狼隊長の姿を見つめながら、うわごとのように言葉を漏らす剣狼側近。
彼女達は無残な姿を晒しながら、己の生殺与奪の権利を握る醜悪な存在を見上げ、慈悲を乞い、懇願を向ける。
自衛「いや、いらねぇよ、こんなもん」
懇願を向けられた自衛当人はというと、だいぶ温度差のある白けた口調でそう返した。
自衛「ったく」
自衛は嫌そうな顔で一言吐き捨てると、手に下げていた剣狼隊長の体を離して地面に落とす。
剣狼隊長「ふぎゅッ！」
湿った地面に落とされ、剣狼隊長は小さく悲鳴を上げる。
剣狼隊長「ぷぁ……あ、主さまぁ……何かご不満でしたでしょうかぁっ……！」
しかし剣狼隊長はすぐさま顔を上げると、恐怖心に満ちた声で自衛に向けて声を上げる。
そんな彼女の目に映ったのは、彼女を見下ろす自衛の、感情の読めない歪な眼。
己を見下ろす眼に、恐怖心が再燃したのか、彼女の顔は青ざめる。そして股間からは生暖かい液体が漏れ出し、彼女の下半身を汚してゆく。
剣狼隊長「あぅぅ、いやぁぁ……どうかお慈悲をぉ……！お願いしますぅ……！」
しかし剣狼隊長は構うことなく、芋虫のように自衛の足元に這いずり寄り、頬を擦り付け命乞いを再開する。
自衛「時間のムダだったな。これ以上、こいつ等から有益なネタは引き出せねぇか」
なんらかの情報が得られるかと、眼下の二人のやり取りを眺めていた自衛だったが、結局得られたのは、二人がそういった関係であるらしい、といういらない情報だけ。
自衛は這い寄って来た剣狼隊長を足先で押しのけながら、冷めた口調で一言呟く。
同僚「―――自衛、お前ェッ！！」
そんな自衛の横から、怒号が飛んだのはその時だった。
自衛「ん？」
見れば、同僚が鬼の形相で自衛を睨みつけていた。
同僚「一体――一体何をしたんだッ！？こんな……いくらなんでも……ッ！！」
続けて荒げた口調で叫ぶ同僚。
一連のあまりにも凄惨な出来事に、これまで言動を失していた彼女。
それがようやく回復し、この凄惨な事態の現況に対して、言葉をうまく組み立てる事もままならないまま、感情に任せて大声を上げたのだ。
自衛「あぁ。ちょっと尋ねてぇだけだったのに、無意味に頑固だったんでな。ちょいと身体の〝部品〟を千切ったり潰したりして、リラックスしてもらった」
同僚「な――！？」
しかし、その元凶から返って来た発言の内容に、同僚の顔は目を見開く。そして剣狼隊長の体に目を落とし、彼女の身体の状態を把握した同僚は、一気に青ざめた。
彼女の両手の指は半分以上がもぎ取られ、耳たぶは片方が千切られている。特徴的な黒い衣服はそこかしこが裂け破れ、傷が覗いており、その傷のいくつかは、指先を捻じ込まれたのか、穴が開きドス黒い血が溜まっていた。
自衛「なんか頼んでもねぇいらん物真似まで始め出したのと、女と坊主が揃ってパーになったのは想定外だったが」
同僚「ッ！お前ェッ――！」
同僚の感情をよそに、自衛は自分の感想を口にする。
その発言と態度に、同僚の頭には血が登り、彼女は掴みかからんばかりの勢いで、怒声を上げようとした。
自衛「コイツと取り巻き共、ずいぶん愉快に唐児のダチを甚振りやがったようだ」
しかし、その前に自衛が発した一言が、同僚のそれを遮った。
同僚「――ッ！」
同僚が口を止めたのを確認すると、自衛は言葉を続ける。
自衛「こっちにコイツを持ってくる間に、だいたい聞き出せた。ウチ(54普連)の隊員K三曹や、隊員Dのダチを含めた施設、武器の連中。皆ひでぇ殺られ方をしたようだが、全部コイツと取り巻き共が意図してやったことで、間違いねぇようだ。躾だ何だと気色悪い理屈をこねて、ずいぶん胸糞悪ぃ事をやらかしてくれたみてぇだな」
自衛は彼女から聞きだせたらしい情報を同僚へと伝えながら、剣狼隊長に一瞥をくれる。
剣狼隊長「主様ぁ、剣狼隊長の惨めな姿をご覧くださいっ！剣狼隊長を笑いものにして、ご機嫌をお直しくださいぃっ！ふ、ふりふりぃっ、へっへっ！」
そして、腰を振り、鳴き真似をし、媚びを続ける剣狼隊長の体を再び足で退けた。
同僚「だ――だからって！こんなになるまでの、酷い追い詰め方をする必要はなかっただろうッ！？度を越してるッ！こんなの、こんな――！」
自衛「あぁ。別にここまでするつもりはなかったが、こいつ等ちょいと気色悪くてな。胸糞悪さで加減を間違えて、〝壊しちまった〟」
同僚「―――！！」
訴えに対して返って来た自衛の発言。それを耳にした同僚は、背筋を凍らせた。
意図したものではなかったとはいえ、剣狼隊長達を心まで破壊しておきながら、その当人から発せられた言葉は、あまりにも淡々としていた。
人を〝破壊〟する。この行為に虫を殺める程の躊躇すら抱いていない。例えるなら、簡単な作業を手違えた程度の感覚。
理性や感情以前の問題。
徹底的にどこまでもずれた倫理観。
それらを前に、自衛に向ける追及の言葉を、同僚はついに失った。
自衛「どうあれ、ウチの連中に対する落とし前がある。生かしておく選択は、無しだ」
同僚の心情をよそに、自衛は呟くと同時にモーションを起こす。
剣狼隊長「わぅわぅぅん！わんっ、わんっ！主さまぁ、この剣狼隊長めにどうか――へ？」
足元で媚びを売り続けていた剣狼隊長が、自身の頭上を覆った影に、呆けた顔を浮かべる。
同僚「ッ！やめ――」
同時に、自衛の行動の意図に気付いた同僚が、声を上げかける――
剣狼隊長「―――びぇァッ！？」
しかしその前に、自衛の戦闘靴の踵が剣狼隊長の頭へ叩き込まれた。
そして彼女の頭は、砕けて割れた。
悲鳴と共に顎から地面に突っ込み、地面と踵に挟まれ圧迫された剣狼隊長の頭が、脳天から鼻の下辺りまでにかけて真っ二つになった。ほぐれて欠けた脳漿や、眼球、血やが飛び出して周囲の地面を汚し、上下の歯が突き出していた舌を噛み、そしてその歯も衝撃でいくつも砕け、飛び散る。頭部を構成していた様々な物で、地面に悪趣味な花火を描く剣狼隊長の体。
脳からの正しい命令を受けられなくなった彼女の体は、ビクリビクリと痙攣を繰り返し、それに合わせて、割ったウニのようになった頭部から、水鉄砲のように血が噴き出る。その痙攣もやがて収まり、剣狼隊長の体はついに完全に動かなくなった。
これまで数々の戦いの場を優美に舞い、華々しい戦歴を誇って来た彼女。仇なす者達をことごとく恐れ慄かせ、武功をあげんとする者達を惚れこませてきた、麗しき狼達の女王。
そんな麗しい彼女の最期は、まるでゴミ出し前に潰された空き缶のように、あっけないものだった。
同僚「あ、こんな――」
剣狼隊長の凄惨な最期を目の当りにし、血の気を失う同僚。それをよそに自衛は剣狼隊長の絶命を確認すると、その場を離れて少し先に居る剣狼側近へと近づく。
自衛「おい坊主、しっかりしろ」
自衛は剣狼側近の目の前にしゃがむと、少年に声を掛けながら、揃えた指の甲で少年の頬をペシペシと叩く。
剣狼側近「ぁは……剣狼隊長さまぁ……あ、あははぁ……」
しかし剣狼側近は完全に心が壊れてしまったのか、虚空を見つめて感情の無い笑いを漏らすだけで、反応を示す様子は無かった。
自衛「あぁ、ダメだな、ぶっ壊れてら。こいつぁ、生かしとくのも酷だな」
自衛はあきれたように発すると、おもむろに剣狼側近の首を後ろから鷲掴みにする。そして、
剣狼側近「あはは……あは、あ――こぇッ！？」
剣狼側近の首を思いっきり捻じ曲げた。その口から小さな悲鳴が漏れ、首の折れる音が微かに響き、彼の頭は本来向いてはならない方向を向く。その一瞬で彼の命は終わりを告げた。自衛が手を放すと、少年の頭は地面へと落ちる。そして先に息絶えてた女主と、その頭を突き合わせた。
歪ながらも強い絆と愛情で結ばれていた、主従である女と少年。
二人は共に凄惨な最期を迎え、雨降る地面にその亡骸を晒した。
自衛「やれやれ、気持ち悪ぃ結末になったな」
二人の〝処理〟を終え、そんな感想を述べながら立ち上がる自衛。
自衛(あぁ、そういや。こいつ等の摩訶不思議に関してもいくらか聞いたが、そっちがどうにも要領を得ない部分があったな。こいつ等の方でも不測の事態があったみてぇだな)
そして剣狼隊長達の死体を観察しながら、得られた情報からの分析を脳裏に浮かべる。
同僚「お前は………」
自衛「ん？」
その時、背後から力ない声が掛かった。自衛が背後へと振り向くと、そこには俯き加減でこちらを睨む同僚の姿。
同僚「お前は……本当に……どこまでも、人の大切なものを壊すのが得意だな……ッ！！」
そして直後に、同僚は絞り出すような怒声で発した。
彼女の顔には、先の形相とはまた違った凄みの色が浮かび、その瞳の奥には、他人事ではない怒りの色が宿っている。
愛する者を汚され奪われた剣狼隊長達の姿が、彼女自身の〝過去〟と重ね合わさった。その〝過去〟と、現状を整理しきれない感情が混ざり合い、失った追及の言葉が怒りと皮肉へと形を変え、彼女の口から紡ぎ出されたのだ。
自衛「………親友を傷つけられるってのは、かなり頭に来るモンなんだぜ」
その言葉に対して、自衛は静かに一言返した。
隊員Dと、その友人である施設D等の事を言ったのであろうその言葉。それは口調こそ、いつもと変わらぬそれだったが、その内には、先の同僚と同じように、他人事では無いような微かな怒気がこもっていた。
自衛と同僚は互いを睨み合う。
双方ともにその目はまるで、仇敵を見るようなそれに近かった。
不穏な空気が、両者の間に充満する。
補給『ジャンカーL1より全ユニットに告ぐ！停戦だ！これより、自衛行動以外の戦闘を停止しろッ！』
その空気を打ち破るように、それぞれのインカムから無線通信が飛び込んで来た。